DEBUですが、何か。

でぶライフをいかに楽しめるのか、ダイエットできるのか的な。外国料理大好き、作ったり、食べたり、いやだから痩せるのかって。

おぐらほいっぷの自己紹介

ども。はじめまして、生粋の大阪人、おぐらホイップです。

私の太ってる歴史を紹介。

 

歴史

モノごころついた時から、なんだか大きな子。

母に言わせると、私の幼少時代はお家がお金持ちだったようだ。

毎晩外食していた記憶がある。静かな割烹屋さんに行くのが嫌で仕方がなかった記憶がある。恥ずかしがり屋だったので、お客さんが賑やかにたくさんいないと落ち着かなかったそうで、「店員さんにじっと見られるから恥ずかしい!」と、よくべそをかいていたそうです。

そんなことで小さい時から美味しモンと脂っぽいもんを食べてましたので

保育園→小学校→中学校まで、デブではないですが、わりとがっしりと大きなサイズの子供でした。

 

高校生になると、恋愛やおしゃれに目覚めます。ダイエット。って言葉も意識しだしました。ですが、食べることが大好きな私は、とにかく好きなものは食べまくっていました。ここらへんからがっしりではなく、ちょっとぽっちゃりさんですね。まだ可愛い方ですよ。

美味しいものが好きなので、近くのファミレスでバイトしてました。

まかないのハラミステーキや明太子パスタなど、もう美味しモノだらけ。

パフェやフロートなんかも作るのが楽しくて仕方がなかったです。

好きすぎて、家より高校の友達と遊ぶより、ファミレスのバイトばっかり行ってました。

 

高校を出て、天国な大学生時代。

ファミレスで早々に社会人経験している私は、もっとシャレオツな食べ物があるところで働きたいと思い、繁華街のダイニングレストランでバイトをすることに。

お酒も食べ物も見たことないものばかり、創作料理っていうのに釘付けになりました。

またバイト仲間も多彩で、都会はさすがおしゃれだーと思い、のめりこみ、更にもっと遊べるバイトや接客を極めたい!と思い、超有名日本料理の中居とスナックのホステスを掛け持ち、働きだしました。

スナックで働くと、今度は、食べたこともない食事をおごってくれたり、深夜の美味しいお店へ先輩たちが連れてくれます。いつも高級なものを食べ飲めるスナックと本格的な知識を教えてくれて美しい料理が見れる日本料理屋さんは、本当に学生の若い私には天国でした。ちやほやされるし。

 

都会へ進出してからぽっちゃりさんは、不思議と太りませんでしたね。
それ以上に彼氏というものができて、見た目を綺麗にしなきゃと必死になり、一時は48キロまで落として最高にコンディションの良い明瞭活発元気女子だったと思います。

 

太りだした新人デザイナー時代

真剣に飲食業界に進むかと、、悩んだあげく、せっかく専門の大学を出ているので(あ、美大ね)グラフィックデザイン業界へ進むことに。

そこからですね。いやー何が違うって、飲食業界ではサービスが優先で新人だろうが素質があると一気に働きやすくなる。しかしデザインって違う。私の入った会社がたまたまですが、15歳以上離れているデザイナーさんが4人もいる会社で、新人な私は当然見習い。まともにデザインなんかもできないし、先輩デザイナーの修正をやり直す係で資料作りやひたすらスペック(カタログでみる仕様とかサイズとか値段の項目)を作るなどで、徹夜の嵐でした。広告業界はそんなもんだったんです。(某代理店の事件もありますが、ほんとに普通です)

今思えば、ストレスだったんかなー時間も関係なく、口に食べ物運んでました。その頃チェーンスモーカーで1日3箱はいってましたね。体調もよく壊していて、ストレスかかえていたと思います。

そんなこんなで、またぽっちゃりしてきていましたが、まだ若いのでそんなに気にもしてませんでした。

 

10年付き合った彼氏との別れで一気に爆発時代

仕事のすれ違いで、浮気され10年付き合って結婚も視野にいれていたのですが、価値観の違いとほんま女好きで(サーファーな彼氏なので)好きあらば、すぐに関係を持ったりする男にほとほと疲れてしまい、あっさり破局。その上、仕事は相変わらずの繁忙時期で、ほぼ帰れないという中、酷い作業を1人で任されてしまい、もう神経ともに崩壊。辞職することにしました。
会社での束縛がなくなってフラフラしてた1年間は、バイトしながら、弾けたように深夜まで遊んでは朝帰り、そのあたりから

おかしなことが、、

昼夜逆転しているのはわかりますが、どんどん服が入らなくなってきたのです。

体重も今まで見たことのない数字を指していました。このとき68キロくらいだったかな。ずーっと59から60あたりだと思っていたのがいつの間にか、70キロに近づいてました。

バイト生活を終え転職。

そろそろ仕事せねば!とその当時流行りの、IT業界のベンチャー企業に入りクリエイティブ部長を任されました。やる気も満々、頑張ってはいたものの、企画とは言いつつもデザイン作業を管理しないといけないので、外部パートナーの管理もしつつクオリティチェックしておったため、更なる過酷な状態になりました。
年齢も年齢で婦人系の病気が悪化しだしており、生理の日は完全にぶっ倒れており、でも仕事も終わらず、そんなこんなであっという間に、完全に体を壊してしまい持続できないと判断し退職しました。

その頃はストレスと作業の多さに更に、食べまくってたので75キロを超えてました。

仕事は辛かったのですが、社長が若かったのか人間関係は比較的良好でしたので、ここで出会った友人や社長は、今でも仲良くさせてもらっています。


最初に努めていた時のデザイン会社の支部長さんもたまたま、独立されていてデザインの仕事をしないか?と連絡があったことをきっかけに
じゃあ独立するか!ってことで会社を簡単に起業。

 
独立してから動かない日々。

はい。これです。完璧に。家で会社立ち上げました。通勤しなくてよくなり、更に加速しましたね。自由って空気もあったとおもいます。

油断しまくりました。

本来起業をしたほうが気合入れていかないといけないのに、私は精神ともにクタクタだったので、フリーダム!のいきなりスローな生活になったんです。

これであっちゅうまーに80キロ超えました。

 

現在

80キロでやばいやばい。と言いながらも、甘えに甘え既に90キロ超え、100キロに近くなっています。結婚もしたので、またもや油断したのかもしれない。

食べたら間違いなく太ってる。食べる量が戻らない。そして90キロあたりから、立ち上がるのも苦労、膝も痛い。運動が簡単にできない。そんな40歳になってしまいました。

さて、40にもなると、恐ろしいのが病院での診断です。

脂肪肝だ!って言われてましたが、それでも自由にしていた私は

肝硬変予備軍と判断されてしまいました。情けない。

3ヶ月内に2キロでも3キロでも落としていかないと、入院させます。と先生に宣告されました。

 

なので、、

痩せるために努力もすることを投げ出さないためにもブログで書いて行こうとしていること。

長いことDEBU生活をしてきて、いろいろ工夫していた気がします。

会社の社長をしている手前、お客さんとの話もありクリエイターさんとの打ち合わせ、

経営者の集い、、などなど外に出ることが多いです。巨体で(泣

ちょっとでも、見場が良いよういろいろしていたことや

DEBUあるあるなんかを書いて少しでもストレス吐き出すことにしました。

 

私は、外国料理(特に欧米系)の見た目や味も大好きなんです。
食べないけど書きたい願望はあるのですよねー

そんなことも妄想して書いて行きたいと思います。

 

諦めないかぎり失敗はしない。

 

なんてね。